ぼくらのアニメソング

当ブログはアニメソングを、多面的な視点からレヴューしていくものです。 当面は各ライターが不定期に書いていきます。

銀河ぶっちぎり!ホルモンは嫌いだがスゴイヤツ F / マキシマム・ザ・ホルモン [劇場版 ドラゴンボールZ 復活の「F」劇中歌]

Once upon a time, Not so long ago(むかしむかし、いや、そんなにむかしのハナシじゃない)、この国においてメタルを愛する者は迫害の対象であった(時期的には90年代後半から00年代前半あたりが特に)。我らメタルをこよなく愛する殉教者の苦難の歴史は書きはじめたらキリがないので今回は割愛するが、とりあえず当時のおしゃれなのを聴いて通ぶっていた意識高い系メタルを鼻で笑っていた愚民どもすべてに等しく滅びを与えたいという気持ちはいまでも変わらないとだけ言っておく。

ここ数年はメタルに対する弾圧はディクライン傾向にあり、メタル好きにとってそんなに住みにくい世というかんじではなくなっている。メタル好きの内々においても、ハードロックとメタルの区別化、メタルの細分化などがかつてほどやかましく言われてないという点においてもわりとピースな環境になってきているとわたしは思っている。

 

しかしそんな太平な世になったからこそなのか、わたしのようなLOW-GUYはまるでフランス産ホワイトダックダウンばりに軽いメタル好きのことがちょっと気になってしまう。誰かと会話しているとき、その流れでわたしがメタル好きだとわかったときに相手が気を遣って

「オレもメタル好きですよ、セックスマシンガンズアニメタルとか」

と言ってくることはしばしば。しかしそれは問題ではない。これらのバンドはメタルを知らない若者たちがメタルを知るきっかけとなるものでむしろウェルカムトゥザメタルジャングルといったところである。しかしわたしにとって氷室京介が思い出まで捨てられることに匹敵するくらい許せないのが「メタルよく聴くんですかー?マキシマム・ザ・ホルモンとか?」と言われることである。

 

 

ファーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーック!!!!!

いまの世の中、「メタル好き=マキシマム・ザ・ホルモン好き」かよ!!

 

ハッキリ言うなれば、わたしはマキシマム・ザ・ホルモン(以下、ホルモン)のことはスキかキライかでいえばキライだ。わたしが飢狼伝説シリーズの陳秦山(チン・シンザン)だったらあのくどい顔面に氣雷砲をぶつけたくなるくらいキライだ。にもかかわらずわたしのREAL FACEと性格が鬱陶しくて濃いカンジであるせいか「ロンさんってホルモン好きそうですよね」と言われることしきりである。ジョーダンじゃないよ!わたしが好きなメタルはランディ・ローズがいるころのオジー・オズボーンだったりイングウェイ・マルムスティーンがいるころのアルカトラスだったり、LAでいうならモトリークルーだったりといいカンジのギターソロがあっていいカンジのハイトーンボーカルが入っているものなのだ。あのような悪ふざけをしながら金切声でワキャワキだったりヴォーヴォーした声は好みではないのだ。それなのにメタルが好き、顔にクセがあるという理由で「ホルモン好きですか?」と聞かれる。これは福岡県民に対して「博多出身ですか?」と聞くことに匹敵する愚問ではないだろうか(バカリズムのネタのひとつ「博多問題」参照)。

 

 

さて、そんなわたしが今回マキシマム・ザ・ホルモンの「F」についていろいろレビューしようと思い改めてまともに聴いてみたわけだが、やはりどうも好きになれない。じゃあなんで書こうとしているのかというと、それはこの曲がいままでなかったパティーンのアニメソングだからである。この曲については過去にネットニュースにもなっていたのでご存じの方も多いだろうが、わたしはちょっとアプローチを変えて考察していきたいと思う。

 

 まずこの曲を説明するうえで最初に挙げたいカテゴリーは、「アニメや漫画をモチーフとした曲」である。

たとえるなら、有名なところでいえばBUMP OF CHICKENの「アルエ」。この曲を初めて聴いたときは「むっ、”白いブラウス”に”青いスカート”…”包帯”…”うれしいときどんなふうに笑えばいいかわからない”…?この曲に登場する女の子は綾波レイっぽいな。タイトルはアルエ…アールエー…R.A…Rei Ayanami!?」と自分は江戸川コナンを上回る推理力を展開させたとテンション上がったものだった。そのすぐのちにその話を友人に話したら「いや、それ有名だから」と一蹴されてマジでさげぽよになったことがまるで昨日のことのように思い出される。

 …閑話休題。上記の定義の曲で他の例を挙げるのであれば、銀杏BOYZの「あの娘は綾波レイが好き」、The Birthdayの「Kiki The Pixy」といったものもそれにあたるだろう。前者はこれまた綾波レイ、後者は『魔女の宅急便』の魔女キキと思われ、歌詞全体では作品のストーリーに触れているワケではないが、とりあえずアニメや漫画のキャラクターを題材にしてつくられた曲である。余談ではあるが、Mr.Childrenの「その向こうへ行こう」という曲も『バガボンド』をコンセプトにしてつくられたらしいのだが、歌詞を見てわかりやすくバガボンド感がない、もっと言えば言われなければ絶対わかんないレベルだったので今回は除外した。

 さて、今回レビューする「F」についてだが、『ドラゴンボールZ』に登場する超有名な悪役・フリーザをテーマとしている。先までに紹介した曲はアニメや漫画をモチーフにしているけど露骨にそれとわかる歌詞ではなかったが、この「F」についてはモロにフリーザやその配下の名前がうたわれている。世界中の独裁者や民族弾圧に対するアンチテーゼの意味合いも含まれているという日本ではめずらしいポリティックな内容ではあるが、その象徴としてか悪のイコンとしてフリーザギニュー特戦隊らが登場している(歌詞カードでは申し訳程度に伏字されてはいるが)。つまり、いままで例がないほど特定のアニメ・漫画作品について明け透けにうたわれているのである。

 

 そしてこの曲を説明するうえでもうひとつ紹介したいカテゴリーは「後付アニメソング」。これはどういう意味かというと、つくられた当初はアニメソングではなかったが、のちにアニメソングとして起用された曲のことである。

 有名どころを紹介するなれば、昨年一世を風靡した新海誠監督による『秒速5センチメートル』の主題歌となった山崎まさよしの「One more time, One more chance」。元々は1997年にリリースされた山崎まさよし本人主演映画の主題歌であったが、新海監督からの依頼により2007年に再リリースされたものである。そもそも映画の内容自体わりとへこむものとなっているのに、この曲が彩りで加わったものだからその精神ダメージは甚大なものであった。わたしは数年前に東京在住の友人宅でこの作品のDVDをみたのだが、そのときまるでアーケード版『ジョジョの奇妙な冒険』で倒されたときにうしろにズギャーーーンとドアップで出てくる吐血した空条承太郎みたいになったものだった。もうひとつ例を挙げるのであれば、宮崎駿監督の『風立ちぬ』で起用された松任谷由実の「ひこうき雲」。元々は昭和の三人娘の一人・雪村いづみのためにつくられた曲だが諸般の事情で世に出すことができず松任谷由実自身の歌唱でリリースされたものであることはファンにとっては有名なエピソードであろう。この曲は自ら命を絶った友人についてうたわれた曲だが、『風立ちぬ』のストーリーにもピッタリと合い、映画を観終わった後の余韻をいいかんじで与えてくれたものだった。

 さて、「F」も2008年にリリースされた曲で、2015年に劇場公開された『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の劇中歌として使用された。まさに「後付アニメソング」の代表例といえる曲である。

 

 

 さて、この曲は「アニメや漫画をモチーフとした曲」であると同時にそれがのちに劇中歌として使用された「後付アニメソング」になったということですでにこの時点でいままでに例のない稀有なものであることは分かっていただけたと思う。しかしこの曲が成し遂げた快挙はそれだけではない。

着目したいのはこの曲が劇中歌になったプロセスである。この曲がCD化された4年後の2012年、マキシマム・ザ・ホルモンのライブ会場に作者の鳥山明先生が訪れ、伏字だらけの非公認曲「F」が事実上作者公認の曲となり、さらに2年後には鳥山先生が「ホルモンの曲を聴いてひらめいた」といってその曲名をもじった、フリーザメインの映画の脚本を執筆されたのである。そう、この曲は先に紹介した「アニメありきの後付アニメソング」とは違い、「アニメや漫画をモチーフとした曲がのちにアニメ化されたアニメソング」なのである。このような特異な事例が他にあるか、わたしは寡聞にして知らない。

 

 

 最後になぜホルモンのことがディスライクなわたしがこの曲をレビューしたかというと、先に解説してきたとおり、アニメ・漫画を題材にしてつくられた案オフィシャルの曲が作者に認められて、そのアニメにつかわれるという偉業、アメリカンドリームならぬジャパニーズドリームを実現してくれたからである。

 いまでも良いバンドは多いけどやはりかつてとくらべると勢いや盛り上がりがなくなってきている日本のロックシーン。そして新時代の象徴として爆発的な人気とクリエイターを生み出したが悲しいことにいまは下火となっているボーカロイドシーン。自分で曲をつくってそれをカタチにして世に出し、高い評価を得るということに夢を持てなくなってきている現状。そんななかでホルモンがみせてくれた光明は、日本中のクリエイターたちの新たな道しるべになりうるものだとわたしは信じている。「好きなアニメ・漫画の曲をつくったら作者に認められ、それがアニメソングになっちゃった」という道しるべに。もちろんアプローチの仕方を間違えれば世間から顰蹙を買ったり権利的なところでひっかかったりするからそこの匙加減は皆様方のセンス次第だろうけどね。

 

 

龍兄様